大岩おおいわ川の上流に位置する。大岩山と号し、真言密宗本山。「大岩の不動さん」として著名。江戸時代には越中観音霊場二八番札所(稿本越の下草)。本尊は磨崖仏の不動明王。当寺の縁起は神亀二年(七二五)北陸化導中の行基が、露出した幅約一〇メートル・高さ約一〇メートル・奥行一八メートルの集塊岩の大岩壁に不動明王以下五体の像を刻んだと伝えている。しかし造像時期は一一世紀から一二世紀にかけてとみられる。磨崖仏背後の京きようヶ峯から「仁安二年丁亥八月十日甲辰 願主相存」の銘があり、かつ中に八本の巻物の軸木と炭化した紙の入っていた経筒が発見されている。経筒は和鏡とともに蓋付きの甕に入れられて埋納されていた。大岩不動明王にかかわる行基伝説について「越中旧事記」には、「然るに越中白石と云処にて東方を臨み見るに、東山の麓に火上石見ゆ、行基直に行て此不動尊を彫刻すといへり」とある。なお貞享二年寺社由緒書上には、当寺の開闢は天平二年(七三〇)で、往古は二一社・坊数六〇を数えたとある。